真っ白い雪が灰色の空から静かに舞い落ち、石畳の古い街並みをゆっくりと覆っていく。
街の色は白一色へと染まりつつあり、通りの喧騒も一重二重の白い幕によって遮られていった。
表を出歩く人影はほとんど無く、何処の建物も暖を取る為に雨戸やカーテンが締められている。
そんな街の裏通りにある古いアパートの一室。一人の男がベッドに横たわっていた。
おそらく眠っているのであろう、かろうじてそうと分かるのは、上下する胸の動きと呼気の白さの為である。男が眠っている部屋は、椅子とベッド以外何もないと言っていいほど殺風景であった。備え付けの暖房器具が動いているものの、その効果は期待できそうもない。
眠っている男の名前はヴィレン。
数ヶ月前まではロシアンマフィアとして、組織のトップであった人物だ。
突然、小さな呻き声と共にヴィレンは目を覚ました。室内の冷たい空気が僅かに動く。
ヴィレンは身体を起こし、傍らの椅子に置いてあるミネラルウォーターへと静かに手を伸ばす。その時あらわになった彼の身体は、どこも包帯だらけであった。
ヴィレンはミネラルウォーターに口をつけながら、窓の外で降り積もる雪に目を向ける。彼は数日前の出来事を思い返していた。
数日前―――。
モスクワから北西へ車で十数時間。
そこには、小さいながらも漁業や運送、補給の窓口として活気のある港町があった。その町の港内に停泊する貨物船の甲板に、ヴィレンは居た。
時間は深夜。本来なら港はもう閉まっている時間帯である。数時間前から降り始めた雪のお陰で視界は悪かったが、これから始まるヴィレン達の仕事には却って好都合であった。
今回の仕事はいわゆる市場の需要と供給を円滑に行う為の仲介である。扱う商品が軍横流しの銃火器類で、市場がマフィアだらけの裏社会という点を除けば、世界各国で日常的に行われていることだ。特に珍しくもない。
ヴィレンは、以前にも仕事を共にしたことのある顔なじみ数人とで今回の仕事を請け負っていた。気を許した仲間同士というわけではなかったが、金に見合った働きは十分にこなすプロ達である。
特に大きな問題や手違いも発生することなく、いつも通り商品を渡してその代金を受け取る―――ただそれだけのはずであった。
しかし、余計な邪魔が入った。それは、取引事態が最初から知られていたかのように、タイミング良く入ってきた。しかも二つ。
一つ目は取引相手側と敵対しているらしい勢力、二つ目は警察当局である。雪降る小さな港が一転して、銃撃戦の場と化した。
断続するマズルフラッシュが小さな花火のように闇夜を照らし、降り積もった雪上に真っ赤な鮮血を浮かび上がらせる。
警官達と交戦する者、敵対勢力間で交戦する者、味方同士で交戦する者、さっさと逃げ出す者。夜の闇と降り続く雪のせいで視界は数メートルしかなく、それが混乱と同士討ちに拍車をかけていた。
そんな中、いち早く状況に見切りをつけたヴィレン達は、船で沖へと逃げ出していた。
「くっそ!一体、どこでしくじった!?」
ヴィレンは唸った。
ついに彼等も警察の巡視艇に追いつかれ、激しい銃撃を受ける。容赦なく降り注ぐ銃弾によって彼等の船は大破し、全員極寒の海へと放り出された。そして、満身創痍ながらもヴィレンだけが生き残った。
後日、ヴィレンは裏のツテを使って、とある腕利きの情報屋に探りを入れさせた。
―――どうやら、あの警官達は偽者であったらしい。
ヴィレンは、自分達がはめられたことに気がついた。もしかしたら、自分達が運んでいた積荷の中身も、別の物だったのかもしれない。まぁ、今となってはどうでもいいことだが―――。
既に、窓の外の雪は止みつつあった。
あの後、さらに仕入れた情報によって分かったことが幾つかある。
今回、一連の出来事の裏側には、PROBE-NEXUSが深く関与しており、そして、それらを操っていたであろう人物の影があった。
ヴィレンの行動は決まっていた。勿論、仲間の敵討ちなどではない。
“やられたままでは終わらねぇ。”
傷だらけの彼をつき動かしているものは、その憤りのみであった。
ヴィレンは椅子にかけてあったバッファロースカルのジャケットに袖を通すと、ゆっくりと寒い部屋をあとにした。数週間後に開催される、第6回F.F.S.に参加する準備を整える為に―――。